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起宿脇本陣跡
歴史民俗資料館北隣。寛永18年(1641)起宿では人馬の通行が増え、脇本陣が設けられた。佐太郎一族が4代継承したあと、林家が享保5年(1720)から継承し…
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尾西歴史民俗資料館
この資料館のある地は、かつて街道が通っており、活気のある宿場町「起宿」を形成していました。リアルなジオラマや実物展示によって、そこに暮らす…
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三岸節子記念美術館
一宮市出身の洋画家・三岸節子の画業を讃え、生家跡に美術館が建てられました。美術館の至るところに彼女に関連したデザインが施され、とても洗練さ…
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のこぎり二
尾州産地の象徴である「のこぎり屋根工場」。その個性的な建築を楽しみたい方にお勧めなスポットです。 毛織物産業を支えてきた「のこぎり屋根工場…
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美濃路萩原宿本陣跡
萩原宿は、美濃路という大通りに約420年前に誕生した宿屋街です。本陣とは、将軍や藩主など位の高い人が宿泊する場所のことです。昔懐かしい風情を残…
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起宿披本陣跡
起宿の本陣、脇本陣に異変が生じた際の退避所として中島の吉田家宅をこれに当て、起宿披本陣とした。文化8年(1811)以後、紀州侯の宿泊があった。 …
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木曽川資料館
山内一豊を中心に、浅野長政、兼松正吉、奥村永福など一宮市ゆかりの戦国武将、史跡などを紹介している。建物は大正13年(1924)に竣工した旧木曽川…
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旧湊屋主屋
定渡船場に向かう往還の角に、幕末に建てられた商家の旧湊屋文右衛門家の主屋があります。明治24年(1891年)の濃尾地震は、起宿のほとんどを全壊さ…
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美濃路散策
美濃路は中川道の垂井宿と東海道の宮(熱田)宿を結び、大垣・墨保・起・萩原・稲葉・清須・名古屋の7宿がありました。中山道や東海道などの五街道に…
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光明寺城跡
織田信長の家臣、神戸伯耆守(ほうきのかみ)が築城し、後に信長の馬廻衆の山田半兵衛が在城しました。伯耆守は、永禄12年(1569年)伊勢国司北畠具…
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長谷川秀一公旧居跡
織田信長の側近で数々の奉公職や検使などを務めました。天正10年(1582年)、徳川家康一行は信長の本拠地安土を訪れました。秀一は接待を命じられ、…
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梶川高盛公宅の碑
梶川高盛は、高秀の子で、父とともに奥村(現在の奥町)へ移ったと思われます。天正元年(1373年)、高盛は織田信長に従い、足利義昭が籠もる槇島城…
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高木一里塚
高木神社南200mの東塚跡に一里塚碑が設置されている。明治初年まで街道の両側に塚もあり、榎も残っていたという。 美濃路街道 東側(酒店隣)に…
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天神の渡し跡
野府川、五城川を合流した日光川は古川といわれ、木曽川の主流の一つだった。慶長年間(1596~1615)までここにあった渡場。後に川幅が狭められて廃…
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地宝院跡
仏教の一派として、本地垂迹説を立てて神にもつかえる修験道で、歴代隣接の神明社・板倉御裳神社を始め、付近数ヶ村の社僧を勤めたが、明治維新神仏…
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冨田一里塚
江戸時代に東海道宮宿と中山道垂井宿を結ぶ脇往環美濃路に築かれた一里塚で、道の両側に榎が植えられた塚が現存する。 東塚、西塚とも原形を保ち…
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駒塚道道標
美濃駒塚の殿様といわれた尾張藩の家老石河佐渡守が名古屋へ参勤するために開いたのが駒塚道である。 冨田一里塚の北100m 当時のままの石製道標が…
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聖徳寺跡
戦国時代、浄土真宗の大寺院であった聖徳寺は、尾張・美濃国境の当地にあった頃、織田信長と斎藤道三が初めて会見した場所として知られている。 …