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光明寺城跡
織田信長の家臣、神戸伯耆守(ほうきのかみ)が築城し、後に信長の馬廻衆の山田半兵衛が在城しました。伯耆守は、永禄12年(1569年)伊勢国司北畠具…
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中嶋城址
中島左衛門尉宣長が居城していたといわれ、その子孫が中島蔵人として居城したが、室町末の戦乱で廃城になったと伝えられる。 中島小学校南に碑(…
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吉藤城址
織田信長に仕えた遠藤三郎右衛門の居城と伝えられる。天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いでは、織田信雄方の砦となった。天保12(1841)年の吉藤…
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奥城址
織田信長・信秀に仕えた梶川弥三郎の居城が有ったと伝えられる。 大きな石碑(昭和34年建立)あり。 奥町西保育園敷地の園庭南側にあるため、無…
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野府城址
戦国期の城跡で織田信長の弟、織田九郎信治の居城と伝えられている。信治は、1570年、浅井長政・朝倉義景の連合軍と近江国で戦ったが、少人数だった…
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黒田城跡
戦国時代からこの地にあった城で七代の城主の記録が残っている。中でも土佐20万石の大名に出世した山内一豊はこの城で生まれている。(大正6年[1917]…
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大野城跡
天正12年(1584)、小牧・長久手合戦の時、下奈良、宮後、河田の砦とともに秀吉方の砦として利用され、その後大野佐渡守等が居住したと伝承されている…
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河田城跡
天正12年(1584)、小牧・長久手合戦の時、秀吉が小牧山の徳川・織田軍に対して構築した城砦の一つであり、昭和38年に護岸工事のため湮滅した。 県道…
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重吉城跡
尾藤源内の城と伝えられる。天正12年(1584)、小牧・長久手合戦の時、徳川・織田軍の小牧山の付城として清洲と小牧を結ぶ連絡確保の役割を担っていた。…
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一宮城跡
平重盛の子孫関氏は熱田の宮司をたよりに一宮の神主となった。以後数代この地に住み、代々真清田神社の神主をしていたが、社領を守るため城を構えた…
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下奈良城跡
天正二年(1584)、豊臣秀吉軍と、織田信雄・徳川家康連合軍が対峙した小牧・長久手の合戦のおり、尾張地方北部のこの地域は、両軍の最前線地域とし…
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苅安賀城跡
浅井新八郎が街道っ筋の賑わいを見せる苅安賀(かりやすか)に築城しました。新八郎は、山内一豊の父盛豊の従弟で、流浪時代の一豊も縁を頼って寄寓…
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