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起渡船場跡
美濃路の木曽川を渡る渡船場跡で、上流から定渡船場・宮河戸・船橋河戸の3ヶ所があり、将軍や朝鮮通信使などの通行には船を270艘以上並べて船橋がか…
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田所遺跡
東海北陸自動車道建設に伴う発掘調査の結果、古墳時代の水田跡、中世の墓地跡が検出され、三つの時代にわたる複合遺跡であることが確認された。 …
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澤井屋敷跡
小牧・長久手の戦いで家康軍に属し勇名をはせた黒田城主・澤井雄重は家康から感謝状を受けた。また、澤井家は尾張藩の家老を勤め、明治になって木曽…
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北方代官所跡
天明元年(1781)に北方堤防上に北方代官所(陣屋)が設置され、その管轄は、尾張(愛知県)、美濃(岐阜県)の両国にまたがっており、併せて川並奉行…
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大野渡船場跡
尾張国葉栗郡大野村から美濃国羽栗郡河田島村へ通じる渡し船。万延元年(1860)までは、幕府の認める渡しとして栄え、明治以後は、渡船組合で運営を…
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人磨塚
古来河田の四つ塚の一つで、葉栗臣人麿別名栗本人麿の墓と伝えられる。7世紀後半頃、葉栗郡で郡司として善政を行い、光明寺(現存)を建立した。昭和…
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浅井古墳群
古来「四十塚」と呼ばれ、50基以上の古墳があった。県文化財指定のものは5基で、いずれも古墳時代後期の築造と考えられる。出土品は、市博物館に展示…
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有隣舎跡
鷲津幽林は若くして京都に出て勉学し、のち家(丹羽)にもどり安永年間の頃(1772~80)近隣の人々に漢学を教授したのが漢学塾・萬松亭有隣舎のおこり…
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浮野古戦場跡
永禄元年(1558)清洲城主織田信長は岩倉攻略をはかり、これに対して岩倉城主織田伊勢守信安が応戦、ここに信長勢に加担する犬山城主織田十郎左エ門信…
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馬見塚遺跡
馬見塚遺跡は縄文晩期から弥生、古墳時代にわたる遺跡で大正15年に発見された。主な出土品は雷式土器、合わせ口甕棺、単棺、打石斧、磨石斧、石皿、…
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稲荷山古墳
墳丘の規模は径40m、高さ6.64mの二段築成の方墳とされる。周溝跡は確認できない。丘上には神明社が祀られており、見晴らしがよい。 県道の1本東側…
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油田遺跡
この地にむかし真清田大神が降臨し、後年現在地に遷座したと言い伝えられている。油田の地名の起りは明らかでないが、その土地を灯明料所として真清…
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大野杁跡
江戸時代初めの慶長年間、徳川御三家の尾張藩を置くにあたり、木曽川の水を取水し大江川と結び、尾張平野の水田に水の供給をすべく、一宮の工匠原田…
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中嶋城址
中島左衛門尉宣長が居城していたといわれ、その子孫が中島蔵人として居城したが、室町末の戦乱で廃城になったと伝えられる。 中島小学校南に碑(…
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吉藤城址
織田信長に仕えた遠藤三郎右衛門の居城と伝えられる。天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いでは、織田信雄方の砦となった。天保12(1841)年の吉藤…
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奥城址
織田信長・信秀に仕えた梶川弥三郎の居城が有ったと伝えられる。 大きな石碑(昭和34年建立)あり。 奥町西保育園敷地の園庭南側にあるため、無…
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野府城址
戦国期の城跡で織田信長の弟、織田九郎信治の居城と伝えられている。信治は、1570年、浅井長政・朝倉義景の連合軍と近江国で戦ったが、少人数だった…
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黒田城跡
戦国時代からこの地にあった城で七代の城主の記録が残っている。中でも土佐20万石の大名に出世した山内一豊はこの城で生まれている。(大正6年[1917]…