浅井新八郎が街道っ筋の賑わいを見せる苅安賀(かりやすか)に築城しました。新八郎は、山内一豊の父盛豊の従弟で、流浪時代の一豊も縁を頼って寄寓(きぐう)したといわれています。新八郎の子・長時は、織田信雄の家老を努めたが、秀吉の策謀のため信雄に殺され、城も落とされました。石碑は、自動教習所の敷地角にあります。
基本情報
住所 |
〒491-0934
一宮市大和町苅安賀上西之杁58 ※ アクセスマップは「苅安賀自動車学校」を指しています |
---|
アクセス
-
名鉄尾西線「苅安賀」駅から徒歩約10分