美濃路は中川道の垂井宿と東海道の宮(熱田)宿を結び、大垣・墨保・起・萩原・稲葉・清須・名古屋の7宿がありました。中山道や東海道などの五街道に付属する街道として、五街道と同じく幕府の中奉公の支配下に置かれました。将軍や大名、朝鮮通信使や琉球使節などの大通行や、象、お茶壺などの特殊な通行にも美濃路が利用されました。東海道の難所である鈴鹿峠と、桑名の宮の間の海上「七里の渡し」を迂回することができたためと思われます。
美濃路の起源を裏付ける「伝馬朱印状」は残っていませんが、美濃の一部で中世の鎌倉街道に重なる区間があり、尾張では天正のころ織田信雄が中島郡井口(稲沢市井之口町)から河室(一宮市萩原町串作)に至る幅5間(約9m)の幹線道路をつくらせたのが原型となっていると考えられます。中山道や東海道と同様に、江戸時代の初期からおよそ400年の歴史がある魅力の多い街道です。
基本情報
住所 | ※ アクセスマップは「一宮市尾西歴史民俗資料館」を指しています。 |
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