毛織物産業が盛んだった一宮市。葛利毛織工業株式会社は織物業で栄えたこの地域の職住一体の経営形態を伝え、今なお毛織物業を営む建物群です。歴史的景観をのこす建物として国の登録有形文化財(建造物)にも登録されています。
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目次
国の登録有形文化財(建造物)!
「葛利毛織工業」ってどんなところ?
ドラマ「官僚たちの夏」や映画「海賊とよばれた男」のロケ地として知られる「葛利毛織工業」は、大正元(1912)年に創業。明治・大正期において、この辺りは県内有数の木綿絣・絹綿交織絣の産地で、葛利毛織工業も創業当時は周囲と同じく、絹綿交織絣の生産を行っていました。
ションヘル織機の高級服地
昭和7年には、「ションヘル織機」の導入を機に、毛織物の生産をスタートさせます。
今も稼働しているこの織機は、手織りに近い低速の織機で、なんと、現在一般的に使われている機械と比べると1/5~1/9ほどのスピードというから驚きです。
効率が悪いためか、扱っている工場は世界でもほとんどないそうですが、ゆっくりだからこそ、素材の良さを活かす味わいある織り方ができます。ここの服地が、世界のトップブランドに愛されているのは、他では絶対に真似できない織り方だからなのですね。
キーワードは「職住一体」
さて、その葛利毛織工業の建物群は、国の登録有形文化財(建造物)となっています。
何がそんなにすごいのでしょうか。それは、工場をはじめ、事務所、原糸倉庫、倉庫、土蔵、主屋、離れが同一敷地内に立地しており、仕事場と住居が一緒という「職住一体」の経営形態を残していることです。大正・明治・昭和の雰囲気を色濃く残しているのは、織物王国として最も勢いのある時代であったからでしょうか。
それでは、貴重な建物をひとつずつ紹介していきましょう。
会社の正門(これも雰囲気のある…)の右にあるのが主屋、左が事務所。奥には工場があります。
1.工場
敷地北側に建っているのは、のこぎり屋根のある工場です。こちらには、採光のための高窓が北側についています。創業当初は2スパン(のこぎり屋根の1単位を1スパンと数える)でしたが、昭和20年ごろに南側に2スパン、昭和30年代には、東西にも増築され、現在は4スパンあります。この工場で、紳士服スーツ地の生産をしています。
2.事務所
中央の門を入って西側に建っている洋館が事務所です。木造二階建てで、1階は1室、2階は床の間と床脇を備えた和室(10畳間)が2室あります。外壁は、上下の板材を少しずつ重なるように取り付けた「下見板」という仕上げをしています。
3.主屋
中央の門を入って東側に建っているL字型の建物で、南側は住居・北側は倉庫になっています。建設当初は工場主の住居部分と女子寮だったそうですが、現在は1階北側が倉庫に、その他の部分は住居として使われています。昔も今も、職住一体の工場なのですね。
4.離れ
事務所の北西にあるのは、経営者家族が住んでいる木造2階建の建物です。1階主座敷には床の間と平書院があります。必要に応じて物入や、便所、台所などを増築しながら、現在も住居として使用しています。
5.男子寮
工場の南東に建っているのが、木造2階建の男子寮。現在は、工場への通路と糸を置く倉庫として使われています。昭和32年に増築したことでもわかるように、活気ある時代の様相がしのばれます。
6.旧浴場と便所
男子寮の東にあったのが浴場と便所です。浴場は、東を男子浴場、西を女子浴場として使っていました。現在は、男子浴場は物置、女子浴場は糸置き場として利用されています。通路を挟んで東側にある便所は、当初3室だったのが、昭和30年代には2室増えています。
7. 土蔵
工場と離れの間に建っているのが土蔵で、家財蔵や工場の倉庫として使われています。江戸時代末期の建築といわれ、もともと東隣の本家に建っていたものを現在の位置へ移動させたとされています。
8.原糸倉庫
工場と倉庫の間に建つ木造平屋建が、原糸倉庫です。床板張の1室には棚が置かれ、現在も当時と同じく原糸の保管場所として使われています。
9.倉庫
原糸倉庫の南に建っているのが倉庫です。長方形の部屋は2室に分かれており、建設当初から現在まで工場の倉庫として用いられています。
葛利毛織工業株式会社
住所 | 一宮市木曽川町玉ノ井宮前1 |
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電話番号 | 0586-87-3323 |
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のこぎり二
住所 | 一宮市篭屋4丁目11−3 平松毛織 |
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