生き馬の目を抜くような戦国時代に、信長・秀吉・家康という天下人たちに仕え、土佐一国24万石の大名にまで出世した山内一豊(1545-1605)。
現代でいえば、真面目が取り柄の中堅サラリーマンのような人生と例えられ、こうして後世に名を遺すまでになったのは、妻である千代の存在が大きいとされています。しかし、どんなに良妻スキルの高い千代であろうと、一豊自身が本当に「甲斐性なし」であれば、きっとこうはならなかったのでは…?
そこで、一豊の生まれ故郷・木曽川に遺る史跡を巡りながら、千代が愛した一豊はどんな人物だったのか、想いを馳せてみることにしましょう。
>> ダメ夫なんかじゃない!山内一豊の物語 vol.2一豊の生涯
目次
1 一豊の出生地「黒田城跡」
こちらは、一豊誕生の地である黒田城跡です。現在の黒田小学校一帯に築かれていたとされ、小学校の北東にある小公園にその存在を知ることができます。
ここは岩倉織田家の家老だった山内但馬守盛豊(一豊の父)が城代を務めていましたが、弘治3(1557)年に信長に夜討ちされ落城。その間、父・盛豊、長兄・十郎は討死(※)。一豊は13歳にして、流浪の身となります。
平成10(1998)年に寄贈された一豊立志像には、故郷を去る一豊と馬の姿が像となっています。父や兄が討たれ、悲しみに浸る間もなく、身を寄せる場所を探して転々とする一豊。
ひとりで生きていかなくてはならなくなった彼は、ここで何を誓ったのでしょうか。
2 壮絶な時代の幕開け「浮野古戦場跡」
織田信長が清須城から岩倉城を攻めるにあたり、戦いの地に選んだのは足場の良い「浮野」でした。結果は信長の圧勝に終わり、戦没者の数は900人余りにものぼったそうです。
岩倉織田家側だった山内家も、信長による尾張統一の勢いに完全に飲み込まれてしまいました。
ちなみに浮野合戦では、弓の名手・林弥七郎と鉄砲の名手・橋本一色(信長の鉄砲指南役)の一騎打ちが有名です。
3 父と兄が眠る「法蓮寺」
こちらは、父・盛豊の菩提寺。本堂北には、父と長兄・十郎の墓があります。残念ながら、一豊の墓はここにはありません。
ちなみにこちら、春と秋に境内にて「寺カフェ」なるものも営業しています。
【営業時間】10:00~16:00(昼休憩あり)
火・土は午後休み
メニューは、オール200円の飲み物とスコーン100円。ソメイヨシノやシダレザクラを楽しみながら、のんびりできるスポットとして開放されています。
故郷を離れた一豊、決意の立志伝!
運命のいたずらか、父・兄を殺した信長に仕えることとなった一豊。
秀吉に槍使いを認められ、秀吉の配下の与力として織田信長の浅井・朝倉攻めに参加します。この時の争いの様子が実にすさまじいものでした。
近江と越前の境・刀根坂で、朝倉の将・三段崎勘右衛門の放った矢が、一豊の左の眼の端から右の奥歯に貫通(!)。相当な深手を負っているというのに、一豊はその状態で勘右衛門を組み伏せて討ち取ったというのです。勘右衛門は相当驚いたでしょうね。一豊、(いろいろな意味で)おそるべし。
この戦功で、近江唐国(滋賀県長浜市宮部町)400石の知行が与えられました。
一豊と千代は、お互いを認め合うベストパートナー
① 馬揃え
このころには、千代と出会い、ふたりは夫婦になっていました。
千代の「内助の功」として有名なエピソードといえば、まず「馬揃え」でしょう。織田家の馬揃えのために馬を探していた一豊は、ある駿馬に目を付けますが、当時ふたりの暮らしは枡を裏返してまな板代わりにするほど貧しいもので、とても馬を買う余裕はありません。それをみかねた千代は、大切な嫁入りの金10両を一豊に渡し、馬を買って馬揃えに参加するよう言いました。ちなみに完全な憶測ですが、一豊は、「目利き」もしくは「勘の良い」タイプのような気がします。馬しかり、上司しかり、千代しかり。ひょっとしたら、千代もそれをわかっていて、「あの馬はいい」といった一豊を100%信じたような気がするのです。
愛する旦那様のためなら、私だってそれぐらいするわよ、と思った方。ちなみに10両っていくらぐらいだと思いますか?…当時の貨幣価値に関しては諸説ありますが、一説では1200万円にものぼるお金ともいわれています。千代にとっては、両親がくれた形見のようなお金です。夫婦の生活がどんなに苦しくても、どんなにお金が必要になっても、これだけは手をつけることはなかったのに、この時は違いました。信長と会えるこの機会をつかめば、目立たぬ夫の運命を切り開けると思ったのでしょうか。並々ならぬ覚悟で挑んだこのギャンブルの結果は――千代の勝ち。目論見通り、その馬が信長の目に留まり、一豊は出世の糸口をつかんだということです。
② 笠の緒の密書
秀吉の没後は、関ヶ原の戦いが勃発。この時の「笠の緒の密書」というエピソードも有名ですね。大阪にいる千代は石田三成の監視下に置かれながらも夫・一豊あてに2通の手紙を送ります。一通は「家康に忠義をつくしなさい」という内容のもの、そして「その手紙を開封せずに、そのまま家康に渡すように」という手紙を使者の笠の緒に仕込みます。その通りに実行した一豊は、忠義を示したことで家康に可愛がられ出世することができた、という話です。妻が描いた筋書きを、夫が察して完璧に動いてみせる―。この夫婦の連携プレー、お見事です!
小説の世界では、凡人に描かれることの多い一豊ですが、常に死と隣り合わせだった戦国時代を生き抜けたこと、しかも三英傑のそばに仕え続けた勝ち組であったこと、これは単なる偶然や強運で片づけられる話ではないでしょう。
4 郷土ゆかりの武将を紹介「木曽川資料館」
こちらは、一豊をはじめ、浅野長政、兼松正吉、奥村永福など一宮市ゆかりの戦国武将、史跡などを紹介する資料館です。
建物は、大正13年(1924)に竣工した旧木曽川町会議事堂。ちょっとレトロな建物の中には、江戸末期~明治30年ごろに使用されていた民具や農具も展示されています。
ちなみにこの資料館には、大正から昭和にかけてアメリカで製造されていたゼンマイ式の「ビクトーラ・クレデンザ」があります。予約は必要ですが、貴重な蓄音機でレコードを聴くこともできますよ。
木曽川資料館
住所 | 一宮市木曽川町黒田字宝光寺東18-1 |
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営業時間 | 9:30~17:00 随時(土・日・祝日のみ、12/28~1/4を除く) ※事前予約制 【休館日】 毎週月曜日と祝日の翌日 |
忘れちゃいけない、地元のお祭り!
毎年9月開催の「木曽川一豊まつり」
「木曽川一豊まつり」は、木曽川町の町おこしとして、毎年9月に行われているイベントです。黒田城跡となる黒田小学校をメイン会場に、趣向を凝らしたイベントが多数開催されています。
祭りのメインは、木曽川町の銀座通りを中心に10時から行われる「戦国時代パレード」。甲冑に身を包んだ一豊と千代が揃って登場します。
一豊まつり
住所 | 一宮市木曽川町黒田 |
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開催日 | 例年 9月第3日曜日 |
ダメ夫なんかじゃない!山内一豊の物語 vol.2 一豊の生涯
参考文献
・一宮市観光協会ホームページ(旧)
・掛川市ホームページ
一豊と千代が生きた時代
一豊、千代の黄金十両で名馬を買う(1581)
・長浜市郷土学習資料 わたしたちの長浜
・江戸東京博物館