濃尾大花火の歴史

起のまちと祭り

 起のまちは古くより水路、陸路の要衝として栄えました。江戸時代には東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ美濃路の宿場町として、また木曽川を介した水運の町として栄えましたが、同時に木曽川の洪水などの災害に悩まされる場所でもありました。水難のないよう、川岸には金刀比羅社、水天宮がまつられ、いつの頃からかともなく旧暦7月15日の夜には水神に捧げるとして無数の灯火を木曽川に流す万灯流しが行われるようになりました。この万灯流しは昭和中期まで数百年にわたり続きました。

 また起のまちでは、文化文政年間(1800年頃)より、尾張地方で盛んな山車の祭りが始まったとされますが、道路が狭く練り歩くのが困難になり、明治初期の頃に竹鼻(岐阜県羽島市)に売却されたと記録されています。山車は「名古屋型」または「大垣型」と呼ばれる中型のものが7輌あったとされています。山車は現存しないためその詳細はわかりませんが、尾西歴史民俗資料館には山車に据え付けられていたからくり人形が保存されています。


水天宮川祭のはじまり

 濃尾地震の翌年にあたる1892(明治25)年、渡船従事者ら31名により「起明組」が結成され、現在の花火大会の原型となる「水天宮川祭」が始まりました。

 川祭は旧暦7月15日夜に行われ、川船1艘を飾り、船中では笛、太鼓、三味線によるお囃子が演奏され、万灯流しや仕掛花火、打ち上げ花火も行われました。


まきわら舟の登場と祭りの変遷

 川祭はその後、日清・日露戦争、第一次世界大戦中の中断がありつつも執り行われてきましたが、1925(大正14)年、当時の町会長の後援を得て、字営の事業となりました。運営費用も従来の有志からの寄付金に加え、字費からも賄うことになりました。

 この年、2艘のまきわら舟「天日丸」「水月丸」を新たに築造しました。まきわら舟は、それぞれ月と日の数を表す12張の大提灯と365張の小提灯が飾られ、祭りをより彩り豊かなものにしました。

 その後、1930年代の頃には祭りの開催日が旧暦7月15日から新暦8月15日に変更され、また第二次世界大戦・太平洋戦争時期の中断を挟みつつも執り行われてきましたが、「起明組」組員の高齢化が進んだことから、1947(昭和22)年より、「起川祭協賛会」が運営の中心にあたることになりました。


濃尾大橋竣工と六斎ばやし

 1955(昭和30)年、尾西市が発足したことにより、「起の川祭」から「尾西川祭」と称するようになりました。

 しかし1956(昭和31)年に濃尾大橋が竣工すると、まきわら舟が橋の下をくぐれなくなり、また渡船廃止で水運従事者がいなくなったことから、まきわら舟が廃止となり、船上で奏でられた六斎ばやしも廃止となってしまいました。やがて万灯流しも取りやめられ、花火だけの川祭となりました。

 その後、元起明組の有志らの奮闘により、1983(昭和58)年に地元小学生を奏者として六斎ばやしが復活しました。以後、現在に至るまで、起小学校の児童が花火当日に六斎ばやしを演奏しながら町を練り歩きます。六斎ばやしは、2004(平成16)年には市の無形文化財に指定されました。


戦後の花火大会の推移

 昭和40年代(1960年代後半ごろ)の花火大会は、仕掛け花火なども含めて約1,100発の花火大会でした。当時、まきわら舟は堤防上に定置される形となっていました。その後、1976(昭和51)年からは「尾西市夏祭り」として花火大会が行われるようになり、1984(昭和59)年から、花火大会の開催日は現在と同じ8月14日となりました。この頃の花火の発数は、約1,600発との記録が残っています。

 六斎ばやしが復活した1983(昭和58)年、「尾西市夏祭り」のプログラムに前夜祭が加わりました。当初は尾西公園で開催していましたが、1986(昭和61)年から尾西市役所駐車場での開催となりました。

 1989(平成元)年には、万灯流しが復活しました。この万灯流しは、1998(平成10)年に中止されるまで続けられました。

 1991(平成3)年、花火大会で初となる10号玉(尺玉)がプログラムに加わりました。翌1992(平成4)年には15号玉が打ち上げられ、発数も約2,500発と充実が図られました。


羽島市との共催

 1993(平成5)年より、古くから経済的、文化的な結びつきのあった岐阜県羽島市と花火大会を共催することになり、「尾西市・羽島市市民花火大会」と称するようになりました。この年からまきわら舟が再び川面を行き来するようになり、形態こそ変わりましたが往時の水天宮川祭を構成した「花火」「まきわら舟」「六斎ばやし」が再びそろうようになりました。二市開催により発数も約2倍となりました。

 また、尾西市制40周年となった1995(平成7)年には、この花火大会で初めて20号玉(二尺玉)の大玉花火が打ち上げられるようになり、以後、開花直径500mの大輪は花火大会の名物として大いに楽しまれています。


一宮市民花火大会

 一宮市では1991(平成3)年、市制70周年を記念し光明寺地区の木曽三川公園(木曽川河畔)で花火大会を開催し、好評を得たことから翌1992(平成4)年より「一宮市民花火大会」として、毎年8月下旬に開催するようになりました。その後、夏の始まりを告げる「おりもの感謝祭一宮七夕まつり」、お盆の「尾西市・羽島市市民花火大会」とあわせ、夏終盤の行事として大いに親しまれてきましたが、2005(平成17)年の3市町合併を経て、2006(平成18)年を最後に16年の歴史に幕を下ろしました。


現在の濃尾大花火

 2005(平成17)年の3市町合併を機に、花火大会の名称は「一宮市・羽島市市民花火大会」となり、「濃尾大花火」の名を冠し、毎年盛大に開催されています。

 水天宮川祭の始まりから120年以上になりますが、橋の開通やそれに伴う渡船の廃止、木曽川大堰建設による河川敷の環境変化など、わたしたちと木曽川の付き合い方は大きく変わりました。濃尾大花火は、少しだけ遠くなってしまった木曽川の存在を身近に感じられる行事ではないでしょうか。



【参考資料】

・林曜三氏(起明組)の記録

・2007(平成19)年8月10日付け中日新聞朝刊 尾張版「濃尾大花火のふるさと(上)」

・起町史

・わがまち尾西―尾西市政50年史

・市政概要