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たかぎいちりづか
高木一里塚

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【所在地】
萩原町高木字蟹子
【交通】
名鉄尾西線「萩原」駅より東へ徒歩10分
【由来】
高木神社南200mの東塚跡に一里塚碑が設置されている。明治初年まで街道の両側に塚もあり、榎も残っていたという。
【ひとくちメモ】
美濃路街道 東側(酒店隣)に石碑(昭和37年建立)あり。
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みのじはぎわらじゅくほんじん
美濃路萩原宿本陣跡

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【所在地】
萩原町萩原字上町
【交通】
名鉄尾西線「萩原」駅より北西へ徒歩10分
【由来】
萩原は、美濃路の宿場町として栄えた。萩原宿の成立は慶長7年(1602)年頃とされる。
【ひとくちメモ】
萩原商店街北側で、萩原宿問屋場跡の石碑(昭和62年建立)の北側30mに石碑(昭和56年建立)のみがある。
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てんじんのわたし
天神の渡し跡

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【所在地】
西萩原字葭山
(天神神社境内)
【交通】
名鉄バス西中野行き「西萩原」停東へ徒歩7分
【由来】
野府川、五城川を合流した日光川は古川といわれ、木曽川の主流の一つだった。慶長年間(1596〜1615)までここにあった渡場。後に川幅が狭められて廃止された。
【ひとくちメモ】
中華そば屋の北東。 天神神社南入口付近 石碑(昭和52年建立)のみ。
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ちほういん
地宝院跡

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【所在地】
北今字葭山
(北今保育園内)
【交通】
名鉄バス西中野行き「北今西」停東へ徒歩5分
【由来】
仏教の一派として、本地垂迹説を立てて神にもつかえる修験道で、歴代隣接の神明社・板倉御裳神社を始め、付近数ヶ村の社僧を勤めたが、明治維新神仏分離の際、当寺の社僧が社人となり廃した。
【ひとくちメモ】
石碑(昭和49年建立)があるが、北今保育園の園庭にあるため、無断で入ることはできない。必ず園に了解を得ること。
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とみだいちりづか
冨田一里塚

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【所在地】
冨田字古川・立石
【交通】
名鉄バス起行き「起」停南へ徒歩15分
(尾西市民病院北 美濃路街道沿い)
【由来】
江戸時代に東海道宮宿と中山道垂井宿を結ぶ脇往環美濃路が築かれた一里塚で、現在も塚とそこに植えられた榎が道を挟んで両側にそのままの形で残っており、近辺では例がない。
【ひとくちメモ】
東塚、西塚とも原形を保ち、榎も大樹に生育している。昭和12年文部大臣指定。
石碑(昭和15年建立)、説明板あり。
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こまつかどう
駒塚道道標

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【所在地】
冨田字立石
【交通】
名鉄バス起行き「起」停南へ徒歩15分
(尾西市民病院北 美濃路街道沿い)
【由来】
美濃駒塚の殿様といわれた尾張藩の家老石河佐渡守が名古屋へ参勤するために開いたのが駒塚道である。
【ひとくちメモ】
冨田一里塚の北100m 当事のままの石製道標が道路西側に立っている。
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しょうとくじ
聖徳寺跡

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【所在地】
冨田字大堀
【交通】
名鉄バス起行き「起」停南へ徒歩15分
(県道尾西清洲線沿い西側)
【由来】
浄土真宗の大寺院であった聖徳寺は、天文18年(1549)織田信長と斉藤道三が初めて会見した場所として知られている。
【ひとくちメモ】
聖徳寺は、美濃の大浦(現羽島市正木町)にあったが、洪水等による度々の移転の後、ここへ移った。
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おこしじゅくわきほんじん
起宿脇本陣跡

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【所在地】
起字下町
【交通】
名鉄バス起行き「起」停南へ徒歩10分
(尾西歴史民俗資料館)
【由来】
尾西歴史民俗資料館北隣。旧林家の日本庭園は、江戸時代からあった脇本陣の庭を基にし、昭和初年に当主、林幸一氏が約10年の歳月をかけて細部にわたるまで指示をして作庭した。庭園には、水琴窟もあり、その音色は深いやすらぎを与えられる。
【ひとくちメモ】
旧林家住宅は、国登録有形文化財建造物。
駐車場は歴史民俗資料館と同じ。
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おこしじゅくほんじんとんやば
起宿本陣及び問屋場跡

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【所在地】
起字下町
【交通】
名鉄バス起行き「起」停南へ徒歩8分
【由来】
慶長7年(1602)に開設され、諸大名の旅宿や人馬継立等往還の公務にあたった。
【ひとくちメモ】
尾西歴史民俗資料館北へ100m 県道尾西清洲線沿東側石碑のみ。
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おこしじゅくひらきほんじん
起宿披本陣跡

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【所在地】
小信中島字郷中
【交通】
名鉄バス起行き「起工業高校・三岸節子記念美術館前」停北へ徒歩3分
【由来】
起宿の本陣、脇本陣に異変が生じた際の退避所として中島の吉田家宅をこれに当て、起宿披本陣とした。
【ひとくちメモ】
三岸節子記念美術館西に当時のままの門(一部補修)と石碑(昭和49年建立)あり。
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おこしとせんば
起渡船場跡

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【所在地】
起字堤町
【交通】
名鉄バス起行き「起」停北へ徒歩15分
【由来】
美濃路の木曽川を渡る渡船場跡で、上流から定渡場・宮河戸・船橋河戸の3ヶ所がある。この渡船場は旧街道「美濃路」の中で木曽川渡河の場所として、多くの大名・旗本のほか、徳川将軍、朝鮮通信使などに利用された。
【ひとくちメモ】
金刀比羅神社南側。
定渡船場は、金比羅さんの渡とよばれて親しまれ、往来の人々でにぎわった。昭和30年頃までポンポン船の運行が見られた。
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たどころ
田所遺跡

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【所在地】
田所字戌亥出
【交通】
国道22号線(名岐バイパス)「一宮木曽川インター北」交差点を東へ、すぐの東海北陸自動車道の側道を北へ100m
【由来】
東海北陸自動車道建設に伴う発掘調査の結果、古墳時代の水田跡、中世の墓地跡が検出され、三つの時代にわたる複合遺跡であることが確認されている。
【ひとくちメモ】
東海北陸自動車道の側道沿い西側に一角が整備されており、石碑(平成11年建立)と説明板がある。
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さわいこうやしき
澤井公屋敷跡

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【所在地】
木曽川町黒田字山
【交通】
JR東海道本線「木曽川」駅より東へ徒歩15分
【由来】
小牧山合戦で家康(信雄)方に属し勇名をはせた黒田城主澤井左衛門慰雄重公の顕彰と、黒田村の初代村長で明治24年の濃尾震災で功績があった澤井元長の功績をしのぶために建てた碑。
【ひとくちメモ】
国道22号線(名岐バイパス)「黒田西石原」交差点西の日置ビル西隣(道路北側)。
石碑(昭和46年建立)説明板あり。
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きたがただいかんしょ
北方代官所跡

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【所在地】
北方町北方字西本郷
【交通】
名鉄名古屋本線「木曽川堤」駅より東へ徒歩10分
【由来】
天明元年(1781)に北方堤防上に北方代官所(陣屋)が設置され、併せて川並奉行所も置かれていた。
【ひとくちメモ】
木曽川の堤防下の道路突き当たり、JR東海道本線沿い西側の一角が整備されており、石碑(昭和53年建立)と説明板がある。
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おおのとせんじょう
大野渡船場跡
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【所在地】
浅井町大野字上土合
【交通】
名鉄バス川島行き「大野」停北へ徒歩10分
【由来】
尾張国葉栗郡大野村から美濃国羽栗郡河田島村へ通じる渡し船。万延元年(1860)までは、幕府の認める渡しとして栄え、明治以後は、渡船組合で運営を行ってきた。時代の推移とともに渡し船の営業も衰退し、昭和初期に廃止された。
【ひとくちメモ】
大野極楽寺公園内北側 高圧線鉄塔北。
石碑(平成9年建立)のみ
駐車場あり(大野極楽寺公園)。
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ひとまろづか
人磨塚
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【所在地】
浅井町河田字葉栗野
【交通】
名鉄バス宮田本郷行き「河田」停北へ徒歩3分
【由来】
古来河田の四つ塚の1つで、葉栗臣人磨別名栗本人磨の墓と伝えられ、砂質凝灰岩の切石を組み合わせた家型石棺が埋葬されている。
【ひとくちメモ】
県道一宮各務原線(木曽川河田橋手前)「黒岩」交差点北の細い道を西へ、すぐの道を南へ入る。
浅井町河田公民館東 石碑(昭和6年建立)と説明板あり。
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こうだわたし
河田渡碑
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【所在地】
浅井町河田字中屋敷
【交通】
名鉄バス宮田本郷行き「河田」停北へ徒歩10分 【由来】 尾張国葉栗郡河田村から美濃国羽栗郡河田島村に至る渡しで、名古屋、清洲方面から美濃の加納、岐阜に向かう重要な街道として、大いに利用されたらしい。昭和31年(1956)、多年の念願であった永久橋が着工され、昭和33年7月に完成し、渡し船の長い歴史に終止符をうった。 【ひとくちメモ】 県道一宮各務原線の木曽川河田橋手前を東へ20m、堤防道路上南側。
石碑(昭和57年建立)のみ。
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あざいこふんぐん
浅井古墳群
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【所在地】
浅井町尾関字同者
【交通】
名鉄バス宮田本郷行き「河田」停南及び、南東へ徒歩5〜10分
【由来】
古来「四十塚」と呼ばれ、50基以上の古墳があった。県文化財指定のものは5基で、いずれも古墳時代後期の築造と考えられる。出土品は、市博物館に展示されている。
【ひとくちメモ】
5基の古墳名(昭和38年4月愛知県指定)
・桃塚古墳 (みづほ保育園東側、碑・説明板あり)
・愛宕塚古墳 (寿福寺北側、家に囲まれて入口が分かりにくい)
・毛無塚古墳 (東尾関公民館東側)
・岩塚古墳 (養護施設東側、復元の石室、石棺、石碑あり)
・小塞神社古墳 (小塞神社北側境内地、石碑など無し)
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ももつかこふん
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桃塚古墳

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いわつかこふん
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岩塚古墳

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けなしづかこふん
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毛無塚古墳
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あたごづかこふん
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愛宕塚古墳

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おぜきじんじゃこふん
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小塞神社古墳 |
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ゆうりんしゃ
有隣舎跡
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【所在地】
丹羽字南屋敷
【交通】
名鉄バス宮田本郷・丹羽団地経由行き「丹羽」停南へ徒歩3分 【由来】 鷲津幽林が、若くして京都に出て勉学し、のち家(丹羽)にもどり安永年間の頃(1772〜80)近隣の人々に漢学を教授したのが漢学塾・萬松亭有隣舎のおこり。 【ひとくちメモ】 県立一宮東養護学校南「丹羽」交差点南へ20m行くと、道路西側に植樹等で整備されている。当時の本をかたどった石碑(昭和37年建立)がある。
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うきのこせんじょう
浮野古戦場跡
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【所在地】
千秋町浮野字海道
【交通】
県道鹿ノ子 南小淵線「浮野」交差点北300mの案内看板を東へ入る。
【由来】
永禄元年(1558)清洲城主織田信長は岩倉攻略をはかり、これに対し岩倉城主織田伊勢守信安が応戦、ここに信長勢に加担する犬山城主織田十郎左エ門信清が加わり三軍が浮野において衝突した。
【ひとくちメモ】
大きな略年表等の説明板や植栽もあり、一角が整備されている。この合戦で討死にした者をとむらった「首塚」跡に「浮野合戦場跡」の碑が建てられている(昭和39年建立)。
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まみづかいせき
馬見塚遺跡
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【所在地】
馬見塚字東見六
【交通】
名鉄バス九日市場行き「せんい一丁目」停北へ徒歩15分
【由来】
縄文晩期から弥生、古墳時代にわたる遺跡で大正15年に発見された。主な出土品は雷式土器、合わせ口甕棺(かめかん)単棺、打石斧、磨石斧、石皿、石棒など各種の石器が出土している。出土品は現在、市博物館に展示されている。
【ひとくちメモ】
「馬見塚」交差点を西へ入り、初めの細い道の交差点を南へ150m入る。空き地に石碑(昭和3年建立)と説明板あり。愛知県指定文化財(昭和29年3月指定)。
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いなりやまこふん
稲荷山古墳
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【所在地】
三ツ井8丁目
【交通】
県道浅井
清洲線「丹陽小南」交差点南へ約350m。大乗院の交差点を東へ入る。稲荷山公園西側
【由来】
西側の半分が削り取られたが、墳丘の規模は径40m、高さ6.64mの二段築成の方墳とされる。周溝跡は確認できない。丘上には神明社が祀られており、見晴らしがよい。
【ひとくちメモ】
県道の1本東側の道路沿いに神明社のあるところだけ高さ6mほどの山になっている。ここが古墳である。神明社への石段を上がる途中に石碑(昭和49年建立)あり。

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あぶらでん
油田遺跡
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【所在地】
多加木2丁目
【交通】
県道名古屋
一宮線「多加木」交差点南、名神高速道路側道を西へ、すぐの道を南に入り、再びすぐの道を西へ入る。JR東海道線東側
【由来】
真清田大神が降臨した跡といわれる。
【ひとくちメモ】
油田公園の南西の一角が整備されている。石碑(昭和58年建立)あり。

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