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《住所》

一宮市木曽川町黒田字勘治西60

 

《公共交通機関》

・JR東海道本線「木曽川駅」より徒歩6分

・名鉄名古屋本線「新木曽川駅」より徒歩11分

 

《車でのアクセス》

東海北陸自動車道一宮木曽川I.Cより10分

 

《駐車場》

20台

 

 妙王山法蓮寺は本尊を日蓮聖人尊定大曼茶羅とし、日蓮宗身廷山久遠寺の直末寺であり、明応元年(1492)、身延山第十一世、日朝上人の弟子、日妙師が諸国を巡歴の途中当地へ来られ、この地の信徒の「宗門の寺院が近隣にない・・・」とのせつない願いにより、一宇を建立、翌、明応二年に本山をまいり、山号、寺号を受け、これを開基とする。この寺は山内氏の菩提寺となったが、古記録に「黒田城主山内但馬守盛豊、天文年間より、永禄二年まで城主」とあるところから、天文年間(1532〜1555)岩倉城主織田信康の重臣として黒田城主に赴任した盛豊公は、永禄二年(1559)岩倉合戦で戦死するまで、菩提寺として当寺を崇拝したものと考えられる。弘冶三年(1557)織田信長の夜討ちにあって戦死した長男・十郎とともに当寺に墓が現存(宝篋印塔)しており、墓域は美しく整えられ、今日もなお歴史を物語っている。また、法蓮寺の妙見堂は、日本三大妙見の一つに数えられる妙見菩薩で有名である。法華経の校本で日相本として世に知られる日相上人は、当地の生まれでこの寺の十三代の住職である。

 

 

山内一豊の父と兄の墓

 法蓮寺本堂北には、一豊の父・山内但馬守盛豊と兄・十郎の墓がある。兄は弘治3年(1557)に黒田城で夜襲にあい死亡。父は永禄2年(1559)に岩倉城落城時に死亡したとされる。

天目茶碗

 昭和初期、名鉄本線が敷設された時、土中より発掘された室町末期のもの。発掘場所の楓橋付近は川中より古杭が発掘された場所であり、乾櫓のあった場所とも考えられ、黒田城西側三重堀のあった付近ともいわれる。

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